宮野彬さんの「刑法の社会学:生きたモデルを追って」を聞いた/読んだ。刑法の目的、思想、特徴、歴史、手続きを丁寧に紐解いていく内容でとても面白かった。専門用語や普段使わない用語が多くて理解できなかった部分がたくさんあったので少なくとももう一回読み直す必要がある。専門家の人が刑法をどう捉えているかを知ることができて良かった。最近気になっていた罪刑法定主義の話も出てきた。
個人的には道徳と刑法の関わりについて語っている部分が面白かった。特に第二章第四節の、売春や同性愛に関する1957年のウォルフェンデン報告と、売春婦からの広告を写真入りで掲載した「レディの名簿(ladies directory)」の犯罪性が問われたショウ事件(Shaw v DPP)の1961年の判決、そして第七章の「被害者なき犯罪」の非犯罪化の議論は良い思考の材料になった。
「刑法の謙抑性」の考え方が面白かったのと、今後また参照するような気がするのでちょっと長めだが引用する。
市民的な安全や保護の目的を果すにあたっては、常に、刑法が、率先してその任務を引き受けなければならないということにはならない。慣習的で道徳的な制裁、地域社会のインフォーマルなコントロール、民事的なコントロールなどの他の手段によって市民的な安全や保護をはかれないときに、はじめて、刑法は発動されることになる。このような性質「刑法の補充性」という。これと共に、刑法の発動の機会は限定されていることを指摘しておかなければならない。民事の領域においては、およそ他人の権利を侵害した者は損害の賠償に応ずる責任を負うが、刑法の場合には、単に違法とか有責な行為ではなく、法がとくに可罰的であると定めた行為しか罰しない。各々の犯罪を分類し、体系化しても、それは、必ずしも人倫の体系をそのまま表すことにはならないのである。このような性質を「刑法の断片性」という。さらに、市民的な安全や保護が侵され、しかも、他のコントロールの方法が十分にその効果を発揮しないときでも、刑法は、あまさずもらさず処罰する必要はないといえる。人々は、今日では、相互に、ある程度までは他人による侵害を耐え忍ぶことが、要求されている。このように、多少は他人を傷つけなければ生きてゆけないとするならば、すべての行動を禁止ないし処罰の対象とすると、個人の自由な活動を阻害することになりかねない。このような性質を「刑法の寛容性または自由尊重性」という。右にあげた三つの性質を総括して「刑法の謙抑性」ないし「謙抑主義」と呼ばれるのである。
(Kindle 版 3851/4041)
その他感想
刑法は変えづらいという認識だということがわかり、そうなのかと思った。
もっとも、刑法は根本規範であるために、簡単に手を加えることはできない。
(Kindle 版 82/4041)
江戸時代にも「精神病者」の刑の減軽があったのが意外だった。(「最も軽い死刑」という概念が今の感覚からすればよくわからんが。)
「精神病者」の場合をみることにしよう。御定書百箇条の第七八条の「乱気二而人殺之事」には、精神病者の犯罪について三つの規定をおいている。それによると、まず、乱心者が人を殺したときには、原則として、最も軽い死刑である下手人を免れることができない。しかし、主殺しや親殺しなどのような重い殺人の罪を犯したときには、普通の犯人の場合よりは軽いが、死罪に処せられる。
(Kindle 版 1476/4041)
オーディオブックで聞いていると「私刑」と「死刑」の区別ができなかったりして度々書籍の方を確認する必要があった。
唐律など漢文で書かれている部分をオーディオブックでは書き下し文にして読んでくれていて良かった。
「堕胎罪の発生件数」が数ページに渡って文字で書かれていて(「同三年は六六五件」など)、オーディオブックの方だとそれをひたすら読み上げる5分間があって笑ってしまった。図表にすれば良いのに。