東浩紀さんの「ゲンロン戦記」を読み終えて感想を書き忘れていた。先週読み終えた気がする。
僕は今まで東さんの書く文章をちゃんと読んだことはなかった。(例のごとくAmazonのウィッシュリストには何冊か入っているのだが)。たまに Twitter のリツイートで見る人、という感じ。この本は東さんの体験談を綴ったものなので「東浩紀さんの本を読んだ」という感じではないのだろうけど。
哲学者が会社を運営するという内容の本で、会社運営もいろいろ大変だなあと思った。そしてハプニングがどれも僕だったらストレスで寝込んでしまいそうな内容で、それをくだけた感じで語っているのが面白い。「哲学者」や「批評家」という肩書から東さんに対して堅物な印象を持っていたが実はそうでもないのがわかった。等身大な感じの人っぽい。だけど東さんだからこそいろんな凡庸(と言えるほど凡庸ではないが)な経験から教訓を得てそれを僕みたいな人にも伝わる言葉にできているのだろうなという感じがする。
174/214 ページでこのようなことが書かれている。
スクールの授業もオンラインでできる。でもイベントや授業が終わったあとの雑談はつくれない。ぼくはそれでは教育などできないと思う。けれど、いまの大学人は逆に、キャンパス封鎖を正当化するため、「大学はあくまでも授業をする場所であって、友人をつくったりサークル活動をするための場所ではない」と主張するようになっています。
座学がリアルタイム&対面である必要性に疑問を持つ人は、リモートでの授業が広まった今は少なからずいるのではないだろうか。
授業内容なんて毎年ほぼ同じなわけで、前年に撮影した授業でも問題ないだろうし、更新が必要な場合は必要なコマ数だけ新たに録画すれば良いと思う。そうすれば雑務に追われている大学教員たちに研究する時間をあげられるし、学生側も1限に間に合うように朝6時に起床する必要もなくて助かるだろう。
というか授業の録画は前からあるもので、外部に公開しているところもある。僕なんかでも東大とかMITとかの授業を聞くことができるのだ。「頭がいい人だけが良質な授業を受けることができる」教育制度が「皆が良質な授業を受けることができる」ものに変わるポテンシャルはかなりあると思っている。(座学以外の実験機材の質の差とかディスカッションの質の差とか解消しきれず残るものもあるだろうけど。)
「いまの大学人」が誰を指すのかわからないけど、もし座学を重視する大学があるんだとしたら学生からの人気が相当落ちそうだなあと思った。