長岡義幸さんによる、「マンガはなぜ規制されるのか」という本を読み終えた。
海賊版漫画サイトのブロッキングが検討されていた時期に、 Twitter で誰かがおすすめしていて気になったので買った気がする。非実在青少年の問題や成人向けコンテンツ全般の規制まで幅広くカバーされていて非常に面白かった。歴史的な変遷についての部分は、多くが戦後から 2000 年代前半までの話で、私が社会というものを認識する前の出来事なので経験と照らし合わせることができず、「そんな時代もあったのね」という感覚で読んだ。 Wikipedia でいろんな事件の話を読んでいるとかなりカオスな時代だったんだろうなあという気がしている。自分がその時代に子育てをしていたら表現規制を養護していたかもしれないな、とも思った。
堺市図書館での BL 本規制問題を本書で初めて知ったが、ちょうど heatwave_p2p こと熱波ちゃんが Twitter で、最近アメリカで起きている図書館検閲問題についてツイートしていたのでなかなかタイムリーだった。
この図書館検閲問題をいろいろを調べてるのだけれど、反人種的批判理論を源流にしつつも、「思想を受け取る権利」を重視する図書館を切り崩すために郊外のお母さん保守層に「反ポルノ」「反ペドフィリア」「反LGBTQ」「親の権利」運動を組織的に焚き付けて教育委員会に詰めかけさせている模様。 https://t.co/Egf3h3GbHM
— heatwave_p2p (@heatwave_p2p) December 2, 2021
反CRTキャンペーンに始まり、最近では反ポルノ(を口実にした反LGBTQ)キャンペーンにまで飛び火して、図書館検閲を推進する動きが活発化。中間選挙・州知事選挙に向けてさらに加熱するかもしれない。
— heatwave_p2p (@heatwave_p2p) December 10, 2021
全米反検閲連盟、米国の学校図書館における検閲に反対する共同声明を発表https://t.co/8V5x2yOKHo
結局、因果関係が明確ではない不確実性の残る状況下でどのように意思決定をするかという問題にたどり着く気がする。暴力的なゲームを遊んだ子供は暴力的な大人に成長するのか。過激な性描写に触れた子供は性犯罪に走ってしまうのか。こうした仮説に対する結論は今でも出ていない。
自分はどうするのが正解なのか、正直整理できていない。環境問題の話で言われる予防原則を私は支持している方だと思う。例えば地球温暖化の原因は人間の活動にある、という仮説があったとして、たとえ科学的に確証がない場合でも早めに対策を講ずることに越したことはないと考えている。
BL 本を読むことで誤った性の知識を植え付けられ、何かしらのかたちで人に危害を加える恐れがある、という仮説があったとして、予防原則に則るなら表現規制を行うべきだ、と考えることができる。また一方では、BL 本が規制されることで同性愛者への差別が助長される可能性がある、という仮説が成立するのであれば、予防原則に立って規制は行うべきではない、と考えることもできる。
私は不可知な世界で最も真理にたどり着けそうな手段は科学であると考えているが、科学がいまいち有効でないときは、最後は「自分はこう思う」が判断材料となるんだろうと思う。でも自分の思考なんてバイアスありまくりなのであてにならない。私も高校生の時に不健康なまでに Call of Duty を遊んでいたが、自分が暴力的な人間に育ったという実感はない。なので表現規制してもあまり意味なさそう。自分はこう思う。まあ最近科学的にそう言われつつあるのだけれど。
ただ、もしかしたら外れ値として稀に本来暴力的になるはずではなかった人が暴力的なゲームをやることで暴力的になるかもしれないし、私が知らないだけで BL 本で誤った性の知識を植え付けられ、誰かを深く傷つけてしまい後悔している人も世の中にはいるのかもしれない。
それにしても松文館事件の有罪判決はなんだかなあ。
メモ:ばるぼらさんがツイートで紹介していた資料。